2011年03月31日

人間は数字に弱い。

ここのところ数字を読む大事さを改めて感じる。

学生時代、ふと気の迷い?で環境計量士という資格を取ったことがあるのだけど、その研修の時のことを思い出す。

研修は独立行政法人産業技術総合研究所の計量研修センターというところで行われて、まあ言ってみれば日本の計量の総本山のようなところなのだけど、そこの教官が数値の扱い方を全然わかってなかったのだ。

理系の人なら「有効数字」という言葉を知っているはず。これはたとえばある値を1と書くか(有効数字1桁)、1.0と書くか(有効数字2桁)ということで、1なら0.1の位を四捨五入(四捨五入によっても数値は偏るのだけど、それはここでは置いておく)していると考えると、最小で0.50…、最大で1.49…となる。1.0なら0.95~1.049だ。

で、問題になるのが計測値というのは実際に測れる複数の数値から計算で出すこともある、ということ。

たとえば四つの値をかけて得られる数字があるとして、これを有効数字二けたで求めようとすると、元の値はもっと精度が高い必要がある。

たとえばその四つの値を有効数字二桁で得たとしていずれも1.0だったとすると(一番影響が大きいのが1.0)

最大:1.049 * 1.049 * 1.049 * 1.049 = 1.21

最小:0.95 * 0.95 * 0.95 * 0.95 = 0.815

となり1.5倍の差があって、この値は有効数字1桁の精度しか持たない。なのにそこの教官はこれを有効数字2桁と扱っていいといったのだ。しかもそのことを質問しても、なぜそんな質問されるのかわからないような感じだった。

それ以来、もちろん上記は極端なケースで計算しているのだけど、元の数字を取るの自体そんなに理論通りにはいかないことと相殺できるとして、だいたい世間で発表されている環境計測の数字は

・桁数はたぶんあっている

・一番高い桁の数字で2倍程度の誤差はあるかもしれない

くらいに考えるようにしている。

なので基準値の二倍、と騒がれていたりするとうーんとなる。今みたいにいろいろな数値(それも一般の人はほとんど聞いたことのないような単位で!)が飛び交っていると、何のための情報かと思ってしまう。

そう、数字に弱いというのは数字が苦手というだけではなく、数字を見るとわずかな差でもすごい意味があるのではないかと感じ、それがひとり歩きしてしまうという意味での弱さも感じるのだ。

今ニュースを聞いてて一番怖いのは、作業現場で安全管理の基礎中の基礎のようなルールがまるで守られていないっぽいことだ。作業員の方が線量計のアラームが鳴ったのを故障だと思って作業を続けたとか、意味が分からない。

多分、そういう計器というのは「間違って鳴る」ことはあっても「間違って鳴らない」ことはないように、つまり故障であれば必ず鳴るように作られているはずだ(それも違ったらすごく気がめいる話だけど)。それはもちろん、鳴っても故障を疑えということじゃない。万が一にも許容量を超えないようにするためだ。だからアラームが鳴ったらすぐに退避というのは鉄則のはずなんだ。

少なくとも大学ではそう習ったし、今もそう教えているはず(大学時代所属していた研究室の教授は信頼性工学の大家だったので、直接の専門じゃないけど、一番ちゃんとした教育は受けていたといっていいと思う)。

としたら考えられるのは二つで、現場の人がまるでそういうことをわかっていない人ばかりなのか、わかっていても危険を冒さなければならないような状況なのかか、だ。どちらにしろ恐ろしい話だ。線量計を一人ひとつつけていなかった、なんてのにも驚きを隠せない。

とりとめもない感じになってしまったけど、報道する側も受け取る側も、細かな数字に振り回されないで本質的に何が進行しているのかということに気を配ってほしい。

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今このタイミングでこういう事アップするのはどうかと思う部分もあるのですが、忘れないうちにメモとして考えていることをアップします。情報の有無が生死を分ける可能性があるケースでは、僕らのような立場の者も責任を感じるからです。

・自治体のサイトについて

なぜこんなことを考えたかというきっかけなんですが、たぶん、宮城県の東松島市のサイトはSOY CMSで動いています(構築にかかわったわけではなく、単にURLや挙動の癖からそうなんじゃないかと判断しているだけです)。そして、あの地震以降、全く更新されていません。災害情報、防災・緊急情報というコーナーはあるのに。

今報道されている状態を考えると、とてもサイトの更新なんて手が回る状況ではないのでしょうし、そもそも市の組織自体どこまで機能しているのだろう?とさえ思います。(非常に心配しています)

災害時の自治体Webサイトの役割は何か、と考えると、大きく分けて

- 地域住民への情報提供

- 地域外への情報提供(救援の要請)

との二つが考えられます。前者についてはおそらく適切な情報を発信しても、PCによるインターネット接続環境はもちろん、携帯電話の使用も十分に行えないケースでは役に立つかあやしいです。とはいっても、避難所や炊き出しの場所などは掲示しておくに越したことはないと思います。今回の場合、アクセスログはどうなっているのか(地域からのアクセスはあったのか)が気になります。

後者については、もうちょっと落ち着いてからはかなり重要になってくると思います。この地域にはこういう物資が必要です!というのを適切に発信することは、このブログにあるような事態を避けるためにも大事だからです。

解決策については、ほんと思い付きをメモする程度に書いておきますが、平常からサイトの一部について非常時には近隣自治体に更新権限を委譲するような仕組みとか、広域防災ネットワークを形成して自治体のサイトには近隣自治体の防災情報をミラーリングするような仕組みを作るのがいいのではないかと思います。被害の大きかった地域の自治体が機能を失っても、近隣の自治体である程度カバーできるようにするのが目的です。後で書きますが、正しい情報を信用するに足るソースで提供すれば、今の時代告知はソーシャルメディアが勝手にやってくれる可能性が高いです。

・ソーシャルメディアについて

金曜からこちら、Twitterは震災のこと一色です。それはいいのですが、大量に流れてくる情報のどれが真実か、どれがデマか見極めるのが非常に困難になっています。被災していない関西の人間でそうなのだから、被災地でその情報がどれだけ役に立っているか時間をおいて検証しないといけないように思います。たぶん、役には立ったが反省も多い、ってことになるのだとは思いますが、今の時点でできる反省としては、ソースのない情報は拡散しないことです。現地の避難に関する情報などはソーシャルメディアの拡散性向向きだとは思うのですが、やはりある程度信用できるソースに根を下ろすことができるような仕組みを作らないと、悲劇を引き起こしてる可能性もあるんじゃないかという気がします。

あと一応触れておくと、東松島市のサイトはIPを調べるとLivedoorのサーバに格納されているようですが、自治体によっては庁舎にサーバを置いているところもあると思います。だとしたらそもそも今回のような規模の災害だと停止する可能性が高いです。急なアクセス増加への対応も含めて、どういうサーバ運用をするか、という基本的なこともしっかり考える必要があります。

取り留めもなく書きましたが、もうちょっと落ち着き、被害の全容がわかってきたらまたまとめなおしたいと思います。

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僕は神戸の地震の時は中三で、通ってた学校がちょうど被害が一番大きかった地域のうちの一つにありました。住んでいたのは大阪だったので直接の被災者ではありませんが、他人事といえる距離ではなく、いろいろ経験はさせられました。

そして今回の地震ですが、、、今はとにかく、まだ救助されていない方が早く救助されることと、少しでも避難所での生活が苦労の少ないものであることを祈るばかりです。

Twitter上でも、いろんな情報が飛び交っていて、みな善意でしているのはわかるのですが、どれが真実で、有益な情報か全くわからないのでそれを拡散してよいかどうかもわからず、ひとまず僕は静観することにしています。たぶん、外野は外野に徹して、現地からの情報を待ったほうがいいのだと思います。安否情報についても、気になるのはわかるのですが、それをしたからといってその人の生死が変わることはありません。混乱を避けるためには連絡はできるだけ現地からの一方通行にすべきと考えています。なので被災地域の人に安否を気遣うような連絡はあえてしないことにします。

 

 

この辺のブログはみなさんぜひご一読ください。

阪神震災を経験して今思うこと

http://ameblo.jp/fivefour/entry-10829122496.html#main

「東日本巨大地震」への一般の方々でしてはいけない支援について

http://web-directions.com/director/index.php?ID=549

 

あと何より考えてほしいのは、復興はとても、とても長丁場になるってことです。特に今回は地域の復興だけではなく、原発がやられています。首都圏でかなり深刻な電力不足が長期間にわたる可能性があります。

被災していない地域の経済活動が停滞したら、復興のための費用も捻出できません。

平日となる明日からが直接被害を受けていない者にとっての正念場です。

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会社の、畑の方の活動について説明をするときに、このような表現をすることがあります。

「医大出て3年目の現代のお医者さんと、平安時代のキャリア50年のお医者さん。病気になったらどちらの言うことを聞きますか?」

これはもちろん「医大出て3年目のお医者さん」という回答を期待して聞いているのですが、平安時代のお医者さん、って言われることがたま~にあります。

ホメオパシーなんかも同根でしょうが、これって結構難しい問題です。そう回答する方って技術への親しみが全然ないのだと思います。理解がないのがダメなんだ、もっと勉強しろ!というのは簡単ですが、多分そうじゃない。

専門的な技術なんて知らなくていいんですよ、だって蛍光灯がどうしてついてるかなんて知らないで使ってる人がほとんどで、それでまったく困らないんですから。(そもそも「なぜ?」って言い出したらまだまだ分からないことだらけですし。「なぜ生きてるの?」とか)

問題は、科学、技術を身近なものだと感じて、親しみを覚えて、先人の積み重ねてきたものと神様(宗教的な意味じゃなくて、自然のしくみそのもの)にちょっと感謝するということが、当たり前になっていないことです。

実際にどうするのが一番いい方法かはよくわかりませんが、少しずつでも世の中を良くしていけたらと思います。

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