以前、東松島市のサイトが震災後更新されていなかったことについて書きましたが、今日は半分繰り返しですが、もうちょっとだけ具体的に僕なりの非常事態時のWebサイトをどう運営すべきかについて案を一つ挙げます。

それは、そういった場合には、非常事態には災害以外のケースもあるでしょうけれど、まずは災害を例にすると、都道府県なら都道府県、市町村なら市町村と、発信元と「信用度が同レベル」のドメイン下に、運用権限や回線等のインフラの問題も含めて情報が掲載可能なような仕組みを作っておくことだと思います。

A市が被害を受けた時、被害の少ないB市のサイトにA市の担当者が直接、もしくはB市のA市防災担当の人がA市の情報について迅速に掲載を行う。できれば掲載先は複数のサイトに同じ情報が掲載されるのが望ましい。(B市のサイトに載った情報はC市のサイトにも載る。転載は手動でも可能)

CMSのID、パスワードでもいいですし、サブドメインを切ってFTP接続できるようにしておいてもかまいません。できるだけ誰でも操作できる方法である必要がありますが、アップされる情報は正しくさえあればデザインなどは問いません。ある程度ガイドラインを作ってマニュアル化すれば、難しいことではないはずです。

この前の震災について、現時点でもこれらのことは確かにいえると思います。

・Web、特にソーシャルメディアが発達した現在のWebは、情報の拡散は非常に速い

・しかし、拡散する情報の真偽については検証機能はうまく働かない

・情報の拡散が速すぎて氾濫が起こり、受信については困難な状況が発生する

・重要な情報を掲載しているサイトがアクセス数過多で落ち、機能しない

これらの問題に対して、先に挙げた方法は確かな情報源を提供することができ(おそらく見る側は信用できる程度が同じくらいであれば、どこが発信源かはあまり気にしません)、またアクセス数過多に対する対策として、技術的な方策を個々のサイトに施すより低コストです。

これが唯一、ベストな答えかわかりませんが、究極的には技術的解決ではなく、組織として吸収できる体制を作っておくというのが現時点での私なりの結論です。

余談ですが、同様の手法は中東で起きたようなケースでは反政府勢力の情報発信にも応用できる気がします。

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2011年04月10日

PCの買い方が変わった

先月ノートPCを二台買いました。

最初は二台買うつもりはありませんでした。

一台目は使ってたThinkPad X60が突然壊れたので、ノートを一台買おうと思い、買ったのがVAIO Type X。Atomのマシンで非常に貧弱ですが、655gという軽さには抗えませんでした。MacBookAirと最後まで悩んだんですが重さが1.5倍以上します。また、有線LANやRGB出力用コネクタもVAIOは内臓です。

二台目はAcerのCore i5積んだ、2.5kgのマシン。会社で使ってたデスクトップマシンの遅さが我慢できず、最初はデスクトップのを買おうと思ったところノートでも重さを気にしなければそんなに値段変わらないということに気づき購入。

前のX60買ったときは「そこそこ使えるスペックで持ち運びもできるもの」という基準で選びました。それが今の二台体制だったら、普段はVAIOを持ち歩いて、どうしても外でスペックのいることをしたいときにはAcerのをつかえます。

もちろん母機プラスモバイルマシンというのは昔からある取り合わせなんですが、クラウド利用の普及によってどのマシンを使っていても差が少ない、移行コストが少ないという状況が生まれています。

つまり、極端な特徴を持ったマシンを複数持つほうが、バランスのいいのを一台持つより快適です。贅沢は贅沢なんですが、後者にあったデータが分散しないというアドバンテージがなくなりました。

まあ今更な内容ではあるんですが、売れ筋も長期的に結構変わるんじゃないかな、より具体的には、使う場面を選ぶようなマシンの売り上げが伸びる要因にはなるなーと思ったので、書いておきます。

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ちょっとした理由で読上げブラウザ(音声ブラウザ)のことを調べることがあったのですが、、、主な読上げブラウザって無償供与されてないんですね。

そりゃ、出る数も限られているでしょうから開発のコストを考えると、なかなか手が回らないのはわかります。でもこういうところこそ行政がちゃんと補助金出すとかで整備していかないといけないはずです(無償のソフトが出てくればいい、というのは開発側に負担を押し付ける発想です)。

行政機関もしくはそれに準ずる機関への入札参加資格とか、納入実績のあるところはその機関が身元を保証して、開発用のソフトウェアの費用を全額国が補助するという程度のことは、多分全部あわせてもたいした金額にならないでしょうから(千社に10万円のソフト配っても1億円です)、するべきだと思います。開発元の合意があれば、上限金額を決めることもできるでしょう。

読上げブラウザ対応のサイトづくりが当たり前になるにはまず、作る側にとってのハードルが下がらないことにはどうしようもありません。

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震災ですっかり忘れていたTwitter公開会議のまとめを、いまさらですがしておこうと思います。

と、振り返ろうとしてみても公式のまとめもないんですね、そりゃ震災の前日でしたから仕方ないですよね。

なのでおぼろげな記憶を頼りに僕の考えだけ述べさせてもらいます。

テーマは、『今後、CMSに求められるものとは?』というものでした。

これにはまず、『今後、Webサイトに求められるものとは?』ということを考えないといけません。多分、今後はより『何のためのWebサイトか?』という根本的な問題が強く意味を持ってくると思います(これは当時はただの直感だったのですが、震災を経て確信に変わりました)。

つまり、「売上を上げる」のを目的とするなら「売上を上げる」のに費用対効果が最大となるように作らなければいけないし、「印象アップを図る」なら「印象アップを図る」ことに最適化されないということです。もちろん複数の目標があるならそれのバランスをうまくとらないといけなくて、それは今も昔も変わらないのですが、より明確でしっかりとした目標設定が必要になるでしょう。

たとえばCMSの組み込みで、更新頻度が本当にあがるのでしょうか。更新頻度を上げられたとして、素人の文章で本当にコンバージョンは上がっているのでしょうか。そもそも十分なアクセス数がそのサイトで期待できますか?アクセス数がなくて予算が限られているなら、CMSの組込みは一旦あきらめるか最低限におさえて、アクセスを増やす施策を優先させたほうがいいかもしれません。

そう考えていくと、正直なところ世の中にはかなり無駄なコストがかかっているサイトが多いような気がします。

『今後、CMSに求められるものとは?』という問いに対しても、結局のところサイトオーナーの利益にそのCMSが貢献できるかどうかがすべてです。ただ、サイトオーナーの利益が何なのか、というのはケースバイケースでしょう。

Webサイトを重要な販路と位置づけ構築したいというケースもあれば、Webからの売上は期待しておらず、お客さんが会社に訪れる際に場所がわかるようにだけしたい、といったケースもあるでしょう。それぞれのケースでは、CMSの選定どころかどういう手順でサイトを構築すればいいかも異なります。

たとえば、先日このブログにも書きましたが、自治体サイトなら災害時にはどのような運用をするか/運用が可能か今後議論が必要と思われますが、そこで情報がアップされる場合は災害時=非常時なので平時と基準が違います。(実用性の観点からの視認性は別にして)見栄えなどはどうでもよく、確実な、信用できる情報をプアな通信環境、通信端末でも迅速にアップロードできること。閲覧者も同様か、それ以下の環境で確認できること。それでいてセキュリティは確保されていること。不正なアップロードが行われないようにすること。そういったことが重要な基準になるでしょう。

そういったことを突き詰めていくと、そのケースでCMSに求められるものというのはおのずと絞り込まれてくると思います。

要件さえ決まればあとはコストのことを考えるだけです。サイト制作者にとっての使いやすさも重要だとは思いますが、それもコストの問題です。かかる費用が同じであれば、サイト閲覧者やサイトオーナーの利益に優先することは決してありません。

また、Webサイトは継続的な改善が必要なものだという問題もあります。最初は低コストにできても、改善にはコストがかかるやり方がある。最初は手間がかかるけど、継続的改善には強い。この二つの方法があったとして、どちらを選ぶでしょうか。これももちろん、場合によって正しい答えは違います。

 

どちらにしろ、そのサイトについてどういうビジョンでいるのか、そのサイトに何を求めるのか、どういうコストのかけ方が好ましいのか、サイトオーナーと制作者とで意識をすり合わせることが大事なのは間違いありません。特に、サイトオーナーはWebの素人であることも多いでしょうから、制作者側ははっきりとした視点を提示できるようにしないといけないと思います。そこで生まれるストーリーと、CMSの設計哲学が合致しているものが、そのプロジェクトではベストなCMSです。

なので『今後、CMSに求められるものとは?』という問いに対する答えをあえてまとめるとすると、『サイト閲覧者、サイトオーナーの利益の視点から見て設計思想がはっきりしていること』です。

一応あげておきますと、SOY CMSでは(目標という部分もありますが)設計思想については、下記のようなものが優先事項であると考えています。

・SEO、LPO等コンバージョン増加のための施策に配慮しやすいこと。

・サイト構築途上において早い段階でユーザテストが可能であること。場合によってはサイト構造の詳細な設計よりユーザテストを先行させられること。

・公開後もデザインや構造の改善が行いやすいこと。

・インターネットに公開されているサイト/イントラネット上のサイトの同時管理やソーシャルメディアへの情報配信など、HTMLの出力/Webサイトの管理に限定されない「コンテンツ配信サーバ」として柔軟に運用可能であること。コンテンツ配信の「ハブ」として利用できること。さまざまなツールをつなぐ「にかわ」のように利用できること。

・拡張性が高いこと。サイトオーナーとサイト閲覧者のコミュニケーションツールとしての利用が行えること。

 

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2011年03月31日

人間は数字に弱い。

ここのところ数字を読む大事さを改めて感じる。

学生時代、ふと気の迷い?で環境計量士という資格を取ったことがあるのだけど、その研修の時のことを思い出す。

研修は独立行政法人産業技術総合研究所の計量研修センターというところで行われて、まあ言ってみれば日本の計量の総本山のようなところなのだけど、そこの教官が数値の扱い方を全然わかってなかったのだ。

理系の人なら「有効数字」という言葉を知っているはず。これはたとえばある値を1と書くか(有効数字1桁)、1.0と書くか(有効数字2桁)ということで、1なら0.1の位を四捨五入(四捨五入によっても数値は偏るのだけど、それはここでは置いておく)していると考えると、最小で0.50…、最大で1.49…となる。1.0なら0.95~1.049だ。

で、問題になるのが計測値というのは実際に測れる複数の数値から計算で出すこともある、ということ。

たとえば四つの値をかけて得られる数字があるとして、これを有効数字二けたで求めようとすると、元の値はもっと精度が高い必要がある。

たとえばその四つの値を有効数字二桁で得たとしていずれも1.0だったとすると(一番影響が大きいのが1.0)

最大:1.049 * 1.049 * 1.049 * 1.049 = 1.21

最小:0.95 * 0.95 * 0.95 * 0.95 = 0.815

となり1.5倍の差があって、この値は有効数字1桁の精度しか持たない。なのにそこの教官はこれを有効数字2桁と扱っていいといったのだ。しかもそのことを質問しても、なぜそんな質問されるのかわからないような感じだった。

それ以来、もちろん上記は極端なケースで計算しているのだけど、元の数字を取るの自体そんなに理論通りにはいかないことと相殺できるとして、だいたい世間で発表されている環境計測の数字は

・桁数はたぶんあっている

・一番高い桁の数字で2倍程度の誤差はあるかもしれない

くらいに考えるようにしている。

なので基準値の二倍、と騒がれていたりするとうーんとなる。今みたいにいろいろな数値(それも一般の人はほとんど聞いたことのないような単位で!)が飛び交っていると、何のための情報かと思ってしまう。

そう、数字に弱いというのは数字が苦手というだけではなく、数字を見るとわずかな差でもすごい意味があるのではないかと感じ、それがひとり歩きしてしまうという意味での弱さも感じるのだ。

今ニュースを聞いてて一番怖いのは、作業現場で安全管理の基礎中の基礎のようなルールがまるで守られていないっぽいことだ。作業員の方が線量計のアラームが鳴ったのを故障だと思って作業を続けたとか、意味が分からない。

多分、そういう計器というのは「間違って鳴る」ことはあっても「間違って鳴らない」ことはないように、つまり故障であれば必ず鳴るように作られているはずだ(それも違ったらすごく気がめいる話だけど)。それはもちろん、鳴っても故障を疑えということじゃない。万が一にも許容量を超えないようにするためだ。だからアラームが鳴ったらすぐに退避というのは鉄則のはずなんだ。

少なくとも大学ではそう習ったし、今もそう教えているはず(大学時代所属していた研究室の教授は信頼性工学の大家だったので、直接の専門じゃないけど、一番ちゃんとした教育は受けていたといっていいと思う)。

としたら考えられるのは二つで、現場の人がまるでそういうことをわかっていない人ばかりなのか、わかっていても危険を冒さなければならないような状況なのかか、だ。どちらにしろ恐ろしい話だ。線量計を一人ひとつつけていなかった、なんてのにも驚きを隠せない。

とりとめもない感じになってしまったけど、報道する側も受け取る側も、細かな数字に振り回されないで本質的に何が進行しているのかということに気を配ってほしい。

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今このタイミングでこういう事アップするのはどうかと思う部分もあるのですが、忘れないうちにメモとして考えていることをアップします。情報の有無が生死を分ける可能性があるケースでは、僕らのような立場の者も責任を感じるからです。

・自治体のサイトについて

なぜこんなことを考えたかというきっかけなんですが、たぶん、宮城県の東松島市のサイトはSOY CMSで動いています(構築にかかわったわけではなく、単にURLや挙動の癖からそうなんじゃないかと判断しているだけです)。そして、あの地震以降、全く更新されていません。災害情報、防災・緊急情報というコーナーはあるのに。

今報道されている状態を考えると、とてもサイトの更新なんて手が回る状況ではないのでしょうし、そもそも市の組織自体どこまで機能しているのだろう?とさえ思います。(非常に心配しています)

災害時の自治体Webサイトの役割は何か、と考えると、大きく分けて

- 地域住民への情報提供

- 地域外への情報提供(救援の要請)

との二つが考えられます。前者についてはおそらく適切な情報を発信しても、PCによるインターネット接続環境はもちろん、携帯電話の使用も十分に行えないケースでは役に立つかあやしいです。とはいっても、避難所や炊き出しの場所などは掲示しておくに越したことはないと思います。今回の場合、アクセスログはどうなっているのか(地域からのアクセスはあったのか)が気になります。

後者については、もうちょっと落ち着いてからはかなり重要になってくると思います。この地域にはこういう物資が必要です!というのを適切に発信することは、このブログにあるような事態を避けるためにも大事だからです。

解決策については、ほんと思い付きをメモする程度に書いておきますが、平常からサイトの一部について非常時には近隣自治体に更新権限を委譲するような仕組みとか、広域防災ネットワークを形成して自治体のサイトには近隣自治体の防災情報をミラーリングするような仕組みを作るのがいいのではないかと思います。被害の大きかった地域の自治体が機能を失っても、近隣の自治体である程度カバーできるようにするのが目的です。後で書きますが、正しい情報を信用するに足るソースで提供すれば、今の時代告知はソーシャルメディアが勝手にやってくれる可能性が高いです。

・ソーシャルメディアについて

金曜からこちら、Twitterは震災のこと一色です。それはいいのですが、大量に流れてくる情報のどれが真実か、どれがデマか見極めるのが非常に困難になっています。被災していない関西の人間でそうなのだから、被災地でその情報がどれだけ役に立っているか時間をおいて検証しないといけないように思います。たぶん、役には立ったが反省も多い、ってことになるのだとは思いますが、今の時点でできる反省としては、ソースのない情報は拡散しないことです。現地の避難に関する情報などはソーシャルメディアの拡散性向向きだとは思うのですが、やはりある程度信用できるソースに根を下ろすことができるような仕組みを作らないと、悲劇を引き起こしてる可能性もあるんじゃないかという気がします。

あと一応触れておくと、東松島市のサイトはIPを調べるとLivedoorのサーバに格納されているようですが、自治体によっては庁舎にサーバを置いているところもあると思います。だとしたらそもそも今回のような規模の災害だと停止する可能性が高いです。急なアクセス増加への対応も含めて、どういうサーバ運用をするか、という基本的なこともしっかり考える必要があります。

取り留めもなく書きましたが、もうちょっと落ち着き、被害の全容がわかってきたらまたまとめなおしたいと思います。

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僕は神戸の地震の時は中三で、通ってた学校がちょうど被害が一番大きかった地域のうちの一つにありました。住んでいたのは大阪だったので直接の被災者ではありませんが、他人事といえる距離ではなく、いろいろ経験はさせられました。

そして今回の地震ですが、、、今はとにかく、まだ救助されていない方が早く救助されることと、少しでも避難所での生活が苦労の少ないものであることを祈るばかりです。

Twitter上でも、いろんな情報が飛び交っていて、みな善意でしているのはわかるのですが、どれが真実で、有益な情報か全くわからないのでそれを拡散してよいかどうかもわからず、ひとまず僕は静観することにしています。たぶん、外野は外野に徹して、現地からの情報を待ったほうがいいのだと思います。安否情報についても、気になるのはわかるのですが、それをしたからといってその人の生死が変わることはありません。混乱を避けるためには連絡はできるだけ現地からの一方通行にすべきと考えています。なので被災地域の人に安否を気遣うような連絡はあえてしないことにします。

 

 

この辺のブログはみなさんぜひご一読ください。

阪神震災を経験して今思うこと

http://ameblo.jp/fivefour/entry-10829122496.html#main

「東日本巨大地震」への一般の方々でしてはいけない支援について

http://web-directions.com/director/index.php?ID=549

 

あと何より考えてほしいのは、復興はとても、とても長丁場になるってことです。特に今回は地域の復興だけではなく、原発がやられています。首都圏でかなり深刻な電力不足が長期間にわたる可能性があります。

被災していない地域の経済活動が停滞したら、復興のための費用も捻出できません。

平日となる明日からが直接被害を受けていない者にとっての正念場です。

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会社の、畑の方の活動について説明をするときに、このような表現をすることがあります。

「医大出て3年目の現代のお医者さんと、平安時代のキャリア50年のお医者さん。病気になったらどちらの言うことを聞きますか?」

これはもちろん「医大出て3年目のお医者さん」という回答を期待して聞いているのですが、平安時代のお医者さん、って言われることがたま~にあります。

ホメオパシーなんかも同根でしょうが、これって結構難しい問題です。そう回答する方って技術への親しみが全然ないのだと思います。理解がないのがダメなんだ、もっと勉強しろ!というのは簡単ですが、多分そうじゃない。

専門的な技術なんて知らなくていいんですよ、だって蛍光灯がどうしてついてるかなんて知らないで使ってる人がほとんどで、それでまったく困らないんですから。(そもそも「なぜ?」って言い出したらまだまだ分からないことだらけですし。「なぜ生きてるの?」とか)

問題は、科学、技術を身近なものだと感じて、親しみを覚えて、先人の積み重ねてきたものと神様(宗教的な意味じゃなくて、自然のしくみそのもの)にちょっと感謝するということが、当たり前になっていないことです。

実際にどうするのが一番いい方法かはよくわかりませんが、少しずつでも世の中を良くしていけたらと思います。

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googleで「飲み会」と検索すると2位に出てくるIT飲み会、現在申込フォームその他が順次SOY CMSベースの物に移行中です!

http://www.it-nomikai.jp/

まだSOY CMSで稼働しているのは一部のページだけですが、3月中には全面的に移行が完了するのではないかと思います。

一点この前のIT飲み会で聞かれたのですが、このリニューアルはお金もらってやっているんじゃないですよ~。当初から参加させていただいているIT飲み会へのコミットとして行っています。

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最近なぜか高校生の人と話す機会が数回ありました。まあ大した内容話してないのでそこからどうこうというのは無いのですが、

http://togetter.com/li/103099

みたいなの読んだりしたのもあってちょっと気になっていることをまとめます。

普段、大学生くらいまではまだ日常的に観測圏内なのですが、僕の時代と結構変わってきているな~と感じることがあります。地理的なことと母校であることから大学は京大が一番のサンプルでちょっと狭いのですが、観察という意味ではちょうどいろんなことが端的に表れやすい環境だと思うので、そこはスルーします。

・まじめな人が多い。ちゃんと講義出てる。

・その割に、自分の専門外のことを極端に知らない人が結構いる

一点目は大学の制度変更があったらしいので仕方ないことかもしれませんが、二点目がここ5年くらい気になっています。当初は、あれ、こういうタイプ自分の学生時代は見なかったぞ?という感じで見てたんですが、確実に増えてきているように感じます。

たとえば理系の人に、古典文学の話をして全く通じないとか。もちろん完全に専門分野にしか興味がない、ってのでもいいのですが、以前はそういう人は例外なく本当にその専門分野が好きなんだなあって感じだったのが、そうでもない人も見かけるようになっているような。

もちろんサンプル少ないしちゃんと調査したわけではないので僕の思い込みである可能性は高いのですが、懸念として提起することは問題ないでしょう。

じゃあもしその懸念が当たっていたらどうすればいいかというところなんですが、根本的には18歳人口が減って大学の定員がそこまで減ってない/増えてる状況だったらどうしようもないのかなと思います。

ただ、気になっているのが若い人に対する圧力です。若い人に対して「まじめにしろ」「はみ出ちゃいけない」という圧力が働いていて、昔だったら反発があるところをみんな素直に聞いちゃっている?

違法行為を勧めるようなこと公の場で書くのはダメなんでしょうが、どうしてもここの所大学の新入生にお酒飲ませちゃダメ、ってなっているのが不思議でなりません。未成年者飲酒禁止法の厳罰化が背景にあるのはもちろんなんですが、少なくとも今の30代以上で、18歳で大学入って(もしくは働き出して)お酒飲むのが悪いことだと思っていた人はほとんどいないと思います。自分たちはやってきていて、そこで特に後悔することもないことを、どうしてこれからの人たちにだけダメだって言えるんでしょうか。大人は身勝手だ、法改正しよう、という声くらい(現在の当事者、過去の当事者両方から)もっともっと出てきていいんじゃないですか。

だらだら書いてきてしまいましたが、いろんな人と接して思うのは、人間何歳から大人、というのは定義しにくくて、大人扱いすれば大人になるし、子ども扱いしていたらいつまでも子供なんだろうな、ということです。

仕事でも、経験がなくてもやってみればできるようになるし、下積みをしているうちはいつまでも下積みです。(話題がずれますが、世の中に数ある徒弟制度の仕組みを観察していると、それがかなりの部分「師匠の仕事を奪わないこと」を主眼に組み立てられた仕組みなんだなということが見受けられることがしばしばあります)

もっとみな、歳の若いうちからもっとちゃんと大人扱いする世の中にしましょうよ。

そりゃ、年長者から見たら子供に見えるかもしれません。でも、昔だったら「子供らしくしろ」という圧力があっても、年長者より若者のほうが数が多くて、反発するということができたのが、たぶん、想像ですが今の若い人は数の面でも負けているのでその圧力に抗う術がないように見えます。なので、昔以上に今の大人は本当に大人になって、若い人に接しないといけないと思うのに、実際はむしろ逆じゃないですか。

なんかねえ、いろいろつながっている気がしてならないのです。高校生に携帯持たせるなとか、そういうの含めて。

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