アーカイブ[2010年5月]

大学時代の恩師の退官記念パーティ

土曜は大学時代の恩師、熊本博光先生の退官記念パーティに行ってきました。

熊本先生の出身の研究室、明石研の同窓会という形で開催されたのですが、残念ながら僕の同期で来ている人はいませんでした・・・まあ東京からだと厳しいんでしょうね。でもちょうど上下の学年の人とは久しぶりに会えました(一つ下の後輩が会社の役員とすごく似ているので変な感じでした)。

大学の時計台で開催されたパーティののち、学部4回生と修士の二年間、あわせて三年お世話になった研究室にもお邪魔してきました。近くで仕事をしている割に、研究室に入ったのは卒業以来初めて、丸5年ぶりでしたが、僕の汚いノートもまだ残っていたりして全然変わっていませんでした。

喧嘩両成敗の誕生

先週移動中に読んでた本です。タイトルは喧嘩両成敗ですが、実質は中世の紛争解決についていろいろと事例を踏まえて解説されています(その結果、喧嘩両成敗法が生まれた、という構成です)。

僕が面白かったと感じたところを二つ挙げておきます。

・日本中世では、一人の死者に対して相手方に一人の死者があれば引き分けという感覚があり、そこには身分の差を超越しているところがあったらしい。(主人が死亡し、それに対し相手方の家人などが死亡した場合でも、死者の数が釣り合えばそれで引き分け、とされることがあったらしい)

・集団同士の紛争では、きっかけを作った当事者でなくとも集団内で身代わりの犠牲者を立てれば済むことが多かったらしい。

いずれも、現代の日本とは言われてみれば通じる面があるような、かといって全く違うような、という感じです。

ただ少なくとも、根本的なところ、名誉感覚とか命の重さとかそういった部分は現代人とは全く似ても似つかないものだと考えてよいと思います。

前も書いたことのように思いますが、歴史を学ぶときには、つい「同じ日本人だから自分たちと同じような思考をしていたのだろう」という推論をしがちです。特に「南京事件はなかった」とか言ってしまうような人は、「自分は日本人である」→「自分は(もしくは自分が知っている日本人は皆)そんな残虐なことをしない」→「日本人はそんなことはしない」→「捏造だ!」というナイーブな思考をしている気がしてなりません。そういう風に考えてしまわないよう、こういう価値観の変遷を追える本は一読の価値があるように思います。

ところで本書に過失相殺は日本独特の制度、という記述がありますがWikipediaにはローマ法起源の制度ってありますね、実際はどんな感じなんでしょう?

 

カタリバ大学

先週なんですが、Twitterで盛り上がってる人がいたのと、主催側に知っている人が何人かいらしたのがきっかけで京都で開催されたカタリバ大学というイベントに参加してみました。

関東では高校生向けに、大学生や社会人の人がセミナーを実施する?みたいなイベントを開催されているそうです。

京都でのイベントも、高校生が数名参加していました。

高校生向けに何か、やりたいんですよ。

僕自身、高校時代はKNAと生徒会交流会という高校間交流の団体に参加していました(前者は新聞委員会、後者は生徒会)。KNAはもともと代々続いていたところに高1から参加、高2の時にKNAでの経験をもとに僕らの代で作ったのが生徒会交流会でした。

生徒会活動の交流会っていうと、なんか真面目に頑張っていたような感じですが実態は大学のイベントサークルみたいなものでした。なにせ後者に限っては設立の目的からして半分は男子校と女子校のメンバーで(略、みたいな感じでしたから。

とはいえ当時の経験は今でもめちゃくちゃ役に立っています。思えば高校生くらいの年代で、自分たちでイベント企画して予算組んで人集めて広報誌作って・・・なんてなかなかできる経験ではありません。それに仕事で使うスキルを一通りすべて網羅していたようにも思います。大学ではそういう経験できる場は多々ありますが、やはり16で知るのと18で知るのとでは大きな違いがあるように思います(しかも高校生だと18で最上級生!大学だと23、24の院生なんかも口出ししてくることを考えると・・・)。

もちろん自分たちだけではわからなない事も多々ありました。そういう時は、KNAの方ではOBの大学生の人からいろいろアドバイスをもらえたものです。

そんな感じで非常によかったなあと思える経験をたくさんできた高校時代だったのですが、今度卒業生の立場からすると、後輩には同じような経験をしてもらいたいと思うのが人情です。しかし、僕が大学に入ってすぐに両団体とも解散してしまったのです・・・

というわけでこんな年になってもちょっと思うところがあるんですよ。そういう機会が今でもあればいいけど、どうなのかな。きっかけがないと完全にゼロからだと厳しいんじゃないかな、などなど。

また、それとは別に、技術の進歩に社会のほうが全くついて行っていない状態が続いているように感じていて、高校生とかだとその辺どういう風に見えているんだろう?という疑問もあります。

たとえば学校裏サイトなんて、何が悪いのか全く理解に苦しみます。昔から、教師が把握できていない生徒間のコミュニケーションツールなんていくらでもありました。それがWebに移っただけです。「学校裏サイトが原因のいじめ」なんてありえないと思うんですよ。何らかのいじめの構造があって、手段としてWebが使われているか、Webがきっかけの場になっているか、それだけの問題だと思います。逆に、紙のノートなどより観察可能性が高いとか、ログがのこるとか、よいことはたくさんあるでしょう。

今後世の中がどうなっていくか考えた場合、優れたデジタルデバイスは若いころから使いこなしているほうが本人にとって有利なことは多いでしょう。ほとんど妄想に近いインターネット悪者論で、子供たちから学習の機会を奪ってよいのでしょうか?

この点、高校生くらいの人はどう感じているのか、一度聞いてみたいと思っています。

とまあ話がそれてしまいましたが、当日主に参加していたのは大学生の人だったように思います。大学生が高校生に何かを教えるというのも大変良いことだとおもうのですが、こと「社会に出たとき何が必要になるのか」という点については、彼らもまだ経験がない事なので話が空回りしがちです。

こんなにも子供が少なくなってしまっている時代ですから、若手社会人は余裕があったらそういう活動に参加してみてもよいんじゃないでしょうか。それを通して自分自身も学ぶことがいろいろあると思います。

デコメgifいただきました!

スワールコミュニケーションズ様からデコメgifいただきました

有難うございますぜひ活用させていただきます

 

ステッカー届きました!

SOY CMSのロゴステッカーが切れかかっていたので、追加注文しました。

ちょっとたくさん頼みすぎたかも・・・

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

先週読んだ本なんですが、めちゃくちゃ面白かった!辛亥革命~中華人民共和国建国くらいのことは他にも色々読んでたんですが、清朝末の本はこれがはじめてです。

システムが壊れかけた滅亡寸前の老国で、西太后がどうやって権力の座に着いたのか、西太后がどうやって求心力を維持し続けたのか筆者の考えがわかりやすく述べられているのですが、それだけではなくて色々知らなかったエピソードもたくさん載っています。伊藤博文が光緒帝と面会していたとか、顧問として招聘を検討されていたとか。

また中国の反日思想のルーツへの言及は、たしかに納得できるものです。

西太后は女性だからとか、中国の文化とはこういうものだ、とか、ちょっと先入観入って無いか?と気になるところはありますが、ぜひ一読をお勧めします。

HCDの理解 in 名古屋、二回目

GW中倒れてしまっていたんで行こうかどうか迷ったんですが、フィールドワークのあるワークショップってなかなかなさそうなのでこの前の土曜に開催されたHCDの理解 in 名古屋 第二回に行ってきました。

名古屋に何回も来たことのあるリピーター観光客向けのサイト制作をお題に、午前中に写真撮影を行い、午後にその写真をいくつかのグループに分けてラベル付けを行なうという内容でした。

まずはチーム内の一人が、取った写真の中から選んだ30枚のグループ分けを行い、そこにラベル名をつけるという作業をします。そのあとで、写真は伏せてラベル名だけで同じ写真を再度別のグループの人に仕分けしてもらう、ということをしました。

誰が見てもわかりやすい、混乱・誤解を招かないラベリングとはどのようなものか、というのが一番のテーマです。

そこからわかることは実際に体験してみないと難しいと思うのでここで書くのは割愛しますが、僕が驚いたのは、かなりいい加減で感覚的なラベリングでも正答率(元のグループ分けと、ラベル名だけ見て背景を知らない人がしたグループ分けの一致率)が70パーセントを超えるということです。人間の処理能力はすばらしいです。(まあそれじゃHCD的にはダメなんでしょうけど笑)

そういえばなぜか参加者の持参デジイチの中でペンタックスが最大派閥というレアな現象が起きていました。

平安朝の女と男―貴族と庶民の性と愛

最近読んだ本の感想でも。

基本的に女性学とかやってる人は苦手なんですが、それを差し引いても興味深い本でした。

女性学がなぜ苦手かというと、学問を名乗っているにも関わらず、やっている本人の身体性に強く束縛されているからです。研究という視点から考えれば自分以外の全ての人はただの観察対象で、性別に感情移入すべき理由は無く、それは絶対にしちゃいけないことなのですが、女性学はそこからのスタートしか無いのが実際です。ライオンの群のメスとオスとの力関係を観察するのに、片方の性に感情的思い入れがあって正しい結論は得られるでしょうか?

なので本書も読む際には著者の感情的バイアスに気をつけて読まないと本質を見落とします。単に引用されている文書の著者が男だから、というだけの理由とも思われる部分を男性優位の証拠としていたりします。

ただ、それでもこの本面白い内容が多いです。

・現代人と昔の人とでは根本的に価値観が異なることがわかりやすく説明されていること

・平安朝期の性関係に関する文献がわかりやすく、テンポよく紹介されていること

というだけで、読む価値があると思います。

なぜ人を殺してはいけないのか

「人殺しはよくない」という価値観を持ったグループのほうが、そうでないグループより生存競争の上で強かったから。

 

価値観は情報的な種でありその闘争は生存競争であって、生物の種と同じように自然選択を想定した結果論で捉えるのが一番正確だと思う。