デニムの修理
よく履いてるジーンズに穴が開いた。
前は膝からやられてたのに最近は必ず股から破れる。。。やっぱり太もも太すぎなんだろうか。
前も同じように破れたんだけど、そのときは修理ができるって知らずに捨ててしまった。
勿体無いことした。。。
こんどはちゃんと修理に持っていきます。
よく履いてるジーンズに穴が開いた。
前は膝からやられてたのに最近は必ず股から破れる。。。やっぱり太もも太すぎなんだろうか。
前も同じように破れたんだけど、そのときは修理ができるって知らずに捨ててしまった。
勿体無いことした。。。
こんどはちゃんと修理に持っていきます。
Webサイトを作るとき、「前へ」「次へ」というリンクを作ることは多いと思うんですが、「前」「次」ってどっちがどっちなんでしょう?
新しい方?表示順に古いほう?
ソースコード内のnext、prevの表現も含めてよく混乱します。
なにか解決するいい方法って無いんでしょうか。old、newでも時系列とは限らないしなあ。
先日からちらほら経済関係の内容を書いているけど、今日もその続き。
なんども、米を作る場合・・・という例を挙げているけど、経済について議論するときはそういう風にシンプルに考えた方がいいんじゃなかろうか。経済の法則なんていうのは、そういった当たり前の事に名前をつけたり、当たり前の現象が数値的にどのような振舞いをするかモデリングしたりしているという程度のものなのだから、専門用語の使用は却って理解を妨げると思う。
米をつくる場合をもう少し詳しく見ていってみると、いくつかの要素に分解されることがわかる。
・生産
- 生産資源 労働力、肥料や種籾といった消費性のもの、田畑という生産装置
- 生産技術 同じ資源でどれだけの生産が可能か
・消費(食べるのに必要な量)
・備蓄
生産→消費→投資→生産→・・・というサイクルを毎年回していくわけだ。
これは「生産」という行為のもつ本質的サイクルであって、他のどんな活動に対しても適用することができる。企業の経営でも全く同じことで、決算期ごとに生産量ー経費=再投資可能な資源(利益)を計算するということを繰り返す。もちろん国という単位に拡張しても問題は無い。
潜在的にどれだけ社会に生産力があるかという問題についての議論では、需要と供給云々といったお話は不要なのだ。
この前書いたのは、「生産装置」の拡大と「生産技術」の向上が望めない場合は消費性の資源と消費量とのバランスが問題になるよということ。
次に、米のような基礎的な生産物であれば量だけで生産力を測ることができるけれど、そうでないものについてはどうなのかということを考えなくてはならなくなる。
つまり、「価値」とはなんなのか?という議論である。
高い値段がつけば価値が高い。じゃあどうやれば高い値段がつくかというと、需要があればいい。あれ?じゃあただの本と作者のサイン入り本とでは値段が違うけれど、そこでは価値が創造されている?たくさんサインしてまわれば大きな生産になる?需要と供給のバランス?その差額分の米を生産できるようにするのと、本質的に同じなんだろうか?
これ以上のお話は時間がかかりすぎるのでまた改めて書けたらと思うけど、池田信夫さんのブログを見てあまり経済学用語を使うのは良くないんじゃいかな~と思ったので徒然。経済学って簡単なことを難しく言って、本当に難しいことは飛ばしてしまう。ちゃんと理解している人の間だったら問題の範囲を明確にするという上で専門用語を使うのは効果的だけど、個人的な経験に限れば、経済学部出身の人でちゃんと理解している人ってそう多くない気がする。じゃあ社会全体ではどうだろうかと考えると、やっぱり結局用語ばかり理解と乖離して一人歩きしてるように思う。