アーカイブ[2009年2月]

考えるって簡単じゃない

クリエイティブな仕事をするには、知識は必要不可欠だ。

 

頭空っぽの方が夢詰め込めるなんて歌があったけど実際は正反対で、知識の量が多いほど詰め込める夢の量も増える。

 

たとえば試しに和歌を詠んでみればいい。

 

たぶんまともに詠める人はほとんどいないだろう。型を覚えて初めてそれらしくなってくる。

 

クリエイティブな仕事をしようと思うと、基礎をしっかり身につけた上でさらにそこに個性を乗っけなければいけない。生の個性だけというのはありえない。(知識を身につけたからといって個性が発揮できるとも限らないけど、それは才能だから仕方ない)

 

天才というものは存在するけど、そういう人は要するに基礎を身につけるのにかかる時間が極端に短かったりするわけで、基礎を学んでいないわけじゃない。

 

大学の勉強もそうで、基礎的な内容に関してはごちゃごちゃ言わずにどんな形でもいいからさっさと身につければいい。他人からの評価を気にしててもいいし、模範解答追いかけててもいい。多分、ある日ある境界を越えた瞬間に、次の世界にいけるから。

 

ひとつ気になるのは、その境界を越えてない人の数が増えてきているんじゃないかということだ。

 

自分が理系出身なのでまず理系に限って言えば、高校レベルの物理は力学でも電磁気学でもほとんど初歩的な微分方程式が分かれば解ける内容になっている。これは連続性を前提とした古典物理の初歩がその範囲として設定されているためなのだけど、裏を返せばそこまで分かってしまわないと暗記だけで終ってしまう危険性が非常に高い。なのにそこは学習指導要領の外にある。

 

文系の勉強についても、前にも書いた気がするけど暗記の代表格「歴史の年代暗記」だって一定レベルを超えればただの暗記では終らない。というのも、その数字を覚えていないと他の事件との前後関係がすぐに思い浮かばないから。立体的な歴史観を形成するためには避けて通れない。

 

考えるためのツール自体は頭に入れておかないと、考えるということ自体成立しない。一線を越えていない人にクリエイティビティを求めること自体に無理がある。

 

そのことはもっと見直されてほしい。考える力云々というのはその後の話だ。

 

TB元

 

http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20090224/p1

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

http://anond.hatelabo.jp/20090223034908

デザインテンプレートについて

SOY CMSをもっと皆さんに使っていただくことを考えたとき、テンプレートの拡充は非常に重要なポイントになると思います。

 

HTMLさえ分かっていればどんなデザインでもわりと簡単に作れるのですが、HTMLがわかるというだけでも結構高いハードルなので、できたら簡単な操作でデザイン丸ごとインポートできるようにと思い仕組み自体はかなり前のバージョンからつけています。

 

ただ、社内でデザインできる力が無いためなかなか用意できないでいました。

 

・・・よく考えたらクリエイティブコモンズのデザインでいいやん・・・

 

ということで、現在準備中です。もうちょっとしたら何種類か配布開始できると思います。

八重山の歴史

今日はもう一冊紹介。八重山の歴史の簡単な通史本です。

 

細かな内容はさておき、「八重山」という地域について、また国の境界領域について、考えるきっかけとしては非常にとっつきやすい本だと思います。

 

琉球⇒薩摩という支配関係は誰もが知っているところですが、この先の八重山⇒琉球という関係について考えたことがある人はその地域の人以外ではほとんどいないと思います。

 

ちょっと話がそれてしまうんですが、以前から中国のチベット弾圧が問題になっています。もちろん弾圧自体は許されていいことではないのでしょうけれど、じゃあ日本のアイヌはどうなんでしょうか。

 

アイヌを侵略した日本には何も言う資格が無い、なんて馬鹿げたことを言う気は全くありません。建設的な解決策を提案するには身近な教材もしっかり活用しなければならないと思うんです。

 

そういうことを考える上で、不謹慎かもしれませんが八重山の歴史は非常に面白いです。

 

日中戦争下の日本

だいぶ前に読んだ本だけど紹介しておきます。

 

どうも戦争についてメディアから流れてくる話と親から聞く話とでは差があるなあとずっと思っていたんだけれど、その疑問に対するヒントをくれる本でした。

 

社会システムそのものの根本的な問題点は70、80年前と比べてなんら克服されていないどころか深刻化しているので、これからの社会のあり方を考えるときには必読だと思います。

 

ひとりよがりな国家論や自家中毒的安全保障論を議論するくらいだったら、戦時中の雰囲気がどのようなものであったか、当時その場所で生活していた人はどんなことを感じていたのか考えてみるほうが遥かに価値があることではないでしょうか。

 

野菜づくり教室!

弊社農場日記の齋藤が、今度風キャビン農園さまで『なぜ、作物に虫が付くのか!』と題して農業教室の講師をします!

 

参加費無料、会員以外の方でも参加可能ですので、ご興味のある方は風キャビン農園さままでお問合せください!

 

風キャビン農園

風キャビン農園 お問合せ

人生訓的なのは好きじゃないんだけど

ひとつだけ思ってること。

 

1日でできることに2日かけたら、10年でできることに20年かかることになる。

Dakinyさんのブログの反響すごい!

DakinyさんがSOY CMSについてブログで取り上げてくださったのですが、その反響がすごいです!

 

その記事について、はてブだけでもさっき見たところ一日で300を超えてます。

 

公式サイトへのアクセスも増加中です。

 

皆様のご期待にこたえられるようがんばっていきたいと思います。

伝統野菜

色んな地域を見に行くと、その土地独特の野菜を目にすることがある。

 

中にはかなり美味しいものもあるのだけど、じゃあそれがなぜ広がらないかというとそれなりの理由があるらしい。

 

大和野菜を探すp

 

今のこんな時代でも「その地域でしか食べられないもの」というのは存在する。

 

ちょっとこの分野、もうちょっと深く調べてみたい。

デニムの修理

よく履いてるジーンズに穴が開いた。

 

前は膝からやられてたのに最近は必ず股から破れる。。。やっぱり太もも太すぎなんだろうか。

 

前も同じように破れたんだけど、そのときは修理ができるって知らずに捨ててしまった。

 

勿体無いことした。。。

 

こんどはちゃんと修理に持っていきます。

前へ、次へ

Webサイトを作るとき、「前へ」「次へ」というリンクを作ることは多いと思うんですが、「前」「次」ってどっちがどっちなんでしょう?

新しい方?表示順に古いほう?

 

ソースコード内のnext、prevの表現も含めてよく混乱します。

 

なにか解決するいい方法って無いんでしょうか。old、newでも時系列とは限らないしなあ。

経済学ってどうなんだろう

先日からちらほら経済関係の内容を書いているけど、今日もその続き。

 

なんども、米を作る場合・・・という例を挙げているけど、経済について議論するときはそういう風にシンプルに考えた方がいいんじゃなかろうか。経済の法則なんていうのは、そういった当たり前の事に名前をつけたり、当たり前の現象が数値的にどのような振舞いをするかモデリングしたりしているという程度のものなのだから、専門用語の使用は却って理解を妨げると思う。

 

米をつくる場合をもう少し詳しく見ていってみると、いくつかの要素に分解されることがわかる。

 

・生産

 - 生産資源   労働力、肥料や種籾といった消費性のもの、田畑という生産装置

 - 生産技術  同じ資源でどれだけの生産が可能か

・消費(食べるのに必要な量)

・備蓄

 

生産→消費→投資→生産→・・・というサイクルを毎年回していくわけだ。

 

これは「生産」という行為のもつ本質的サイクルであって、他のどんな活動に対しても適用することができる。企業の経営でも全く同じことで、決算期ごとに生産量ー経費=再投資可能な資源(利益)を計算するということを繰り返す。もちろん国という単位に拡張しても問題は無い。

 

潜在的にどれだけ社会に生産力があるかという問題についての議論では、需要と供給云々といったお話は不要なのだ。

 

この前書いたのは、「生産装置」の拡大と「生産技術」の向上が望めない場合は消費性の資源と消費量とのバランスが問題になるよということ。

 

次に、米のような基礎的な生産物であれば量だけで生産力を測ることができるけれど、そうでないものについてはどうなのかということを考えなくてはならなくなる。

 

つまり、「価値」とはなんなのか?という議論である。

 

高い値段がつけば価値が高い。じゃあどうやれば高い値段がつくかというと、需要があればいい。あれ?じゃあただの本と作者のサイン入り本とでは値段が違うけれど、そこでは価値が創造されている?たくさんサインしてまわれば大きな生産になる?需要と供給のバランス?その差額分の米を生産できるようにするのと、本質的に同じなんだろうか?

 

これ以上のお話は時間がかかりすぎるのでまた改めて書けたらと思うけど、池田信夫さんのブログを見てあまり経済学用語を使うのは良くないんじゃいかな~と思ったので徒然。経済学って簡単なことを難しく言って、本当に難しいことは飛ばしてしまう。ちゃんと理解している人の間だったら問題の範囲を明確にするという上で専門用語を使うのは効果的だけど、個人的な経験に限れば、経済学部出身の人でちゃんと理解している人ってそう多くない気がする。じゃあ社会全体ではどうだろうかと考えると、やっぱり結局用語ばかり理解と乖離して一人歩きしてるように思う。

問題の解決

ベンチャー企業の経営なんて日々悩ましいことばかりでひとつずつ解決していくしかないんだけど、問題の解決なんてのは問題点の把握が9割だと思う。

 

ちゃんと問題と解決に向けて利用可能な資源を把握していれば、解決策自体はおのずと限られてくるものだ。

 

課題についてどう対策をすべきか議論が紛糾する場合、大抵は問題点自体に対する認識(それをクリアする目的はなんなのかという意識といってもいいかもしれない)がずれているんじゃないかと思う。

 

本音と建前のギャップを(意識的であるにしろないにしろ)消化できていないなんてことや、言葉の定義の時点ですれ違っていることは非常によくある。

 

その割に、そこをちゃんと突き詰める話というのはあまり聞かない。

だまされないための年金・医療・介護入門

今日ざっとですが移動時間使って読んでみました。

 

この本、もっと読まれてほしい。

 

後半の試算よりも、冒頭で問題の本質(前の日記で書いたようなこと)が非常に分かりやすくまとめられているのが貴重だと思う。社会保険料の労使折半が非常に趣味の悪いトリックだということにもちゃんと触れられている。

 

世代間格差

先日も世代間格差についてちょろっと書いたけど、最近それ関係の議論をよく目にするようになった気がする。

 

正直遅すぎると思う。やはり人間ってのは今のように切迫した状態にならないと真面目に問題に向き合わないものなんだろうか。mixiやオフラインのイベントなど半クローズドな場所では数年前から同じような趣旨のこと(今の仕組みがいびつであること、有権者の年齢構成的に改革が絶望的であること)を言ってきているのだけど、僕より下の世代でさえ「今の日本を築いてきたのはお年寄りなんだから。。。」なんて反応が少なくなくて、そんな次元の問題じゃないんだということがあまり伝わらないこともあった。今後は状況は変わってくるんだろうか。お年寄りを大切にするかどうかではなく、子供たちにどんな国を残せるかなんだ。

 

とはいえ、僕自身この問題に関してよい解決策というのが思い浮かんでいるわけじゃない。まあ全く無いというわけではないけど今の時点で公の場で書く気になれるものじゃない。。。

 

さらに言えば、問題意識が共有されたところでどうしようもない気もしている。

 

少子化に関して大学の全入化という問題があるのだけれど、18歳人口の現象なんてものは18年も前に限りなく高い精度で予想できたことなんだ。それなのにまともな対策がほとんど何も取られていない。

 

つまり、人間っていうのは悪い状況になることが確実であってもそれが目の前に抜き差しならない状態として迫ってこない限りは何もしないものだといえる。個々人は理性的に見えても集団となると色々な問題が複雑に絡み合って全く理性的じゃない振舞いをする。

 

良い未来を作るために、できることって何か無いんだろうか。

 

唯一まともな社会保障本 - 書評 - だまされないための年金・医療・介護入門

世代間戦争

 

==追記==

肝心の論点的なこと書いてなかった。

 

問題の本質理解するには、難しい経済学なんて何もいらない。そんなの却って頭混乱させるだけ。

 

前のエントリーで少子化対策は手遅れって書いたけど、そういう簡単な思考実験をしてみるだけで何が問題かはわかると思う。

 

結局は支える人と支えられる人とのバランスなんだ。

 

小飼さんの紹介してらっしゃる本は読んでないので(また機会があったら読んでみたいと思う)詳しいことはわからないのだけど、積み立て方式の他にも「完全税方式にした上で、全人口に対する年金需給人口比を決めてしまって、毎年そこから算出される基準点以上の年齢の人にだけ年金を給付する」なんて仕組みも理論的には持続可能なはず。基準点前後の年齢で収入が不安定になるという問題はあるけど、適当に緩衝する方法は考えればいくらでもあるだろう。

 

年金の需給年齢を上げて、その代わりその年まで働けるような環境を作ることは高齢者にとってもプラスの面が多いんじゃないかな。

 

あと、厳しいことではあるけど、お年寄りはどんな環境に現在置かれているかについて、少なからず本人自身の責任がある。それに対して子供は生まれる環境を選べない。だから本当は子育てのコストは年金以上にもっと社会全体で負担しないといけないものだと思う。その辺、大きな発想の転換を求められている気がする。

猫ビキニ

家にあった嫁さんによるものと思われる落書き。

これなんだと思いますか?

家にあった入浴剤、突っ込みどころが色々あります。。。

 

これは一度ぬらしてしまった状態なんですが、最初はクッキーかと思うような質感でした。臭いが臭いなので間違って食べることは無いと思いますが。。。

 

インストールマニアックス結果発表!

本日、インストールマニアックスの結果発表が行われました。(って僕はただサイトで見ただけですけど)

 

上位のお三方だけセットアップされたサーバへのリンクがあったのですが、皆さんSOY CMSのインストールにチャレンジしていただいていたのが非常に嬉しかったです。

 

残念ながら完全にインストールに成功された方はこの中ではお一方だけだったようですが、公開していただいているドキュメントは僕らにとっても非常に興味深いものでした。

 

またこういうイベントは定期的に開催してほしいです。

 

インストールマニアックス2008

子供のネット利用

結局、問題の本質は子供の方が大人よりリテラシー高くて、大人がその状況に拒否反応示しているってことだと思う。

何度も書いてるけど、学校裏サイトがどうして問題になるか分からない。

みんなでノート回して色々書いたりなんて遥か昔から存在して、道具がwebになっただけ。ノートとかより大人が見れる可能性がある分、いいくらい。

出会い系サイトだって、「知らない人についていっちゃダメ」というだけの話。

アダルト関係についてはそもそもどうして子供に見せちゃダメなのか正直よく分からない。どうせみんな見てるだろうし、興味をもつのはごく自然なことだろう。

この国はどこに行くんだろう

世代別の金融資産保有額はこんな感じらしい。

http://www.gamenews.ne.jp/archives/2009/01/post_4462.html

 

データは一応信用できるものとして話をすすめよう。

 

この手の経済統計の分析に関しては、上記ブログもそうだけど市場にお金が還流するかどうかという視点で語られることが多い。

 

けど、それはあくまで二次的な事柄であって、一番根っこの部分では

 

・生産力(今の時代だと国際競争力という方がいいかもしれない)

・消費

 

とのバランスがどうなっているかというのが問題になる。

 

生産力が消費を上回っている場合には、社会資本が蓄積され続ける。今まで貧しかった人もどんどん豊かになる。弱者保護も進む。

 

一方、生産力が消費を超えられなくなった場合、社会資本は食いつぶされていく。今の日本はそういう状況。

 

例えれば、米を作るのに十分な種籾を確保できないような状態。少ない種籾で生産しろ!というのだから生産セクターに過剰な負担がかかる。

 

ではなぜそういった状態になっているかというと、いうまでもなく高齢化によるもの。生産に携わる現役世代が減って、高齢者が増えている。

 

不景気だといっても、日本の場合は上記のトレンドがどうしようもなく根底に横たわっているからちょっとやそっとの景気対策では意味が無い。先の好景気においても一般消費者にはほとんど景気上昇の実感がなかったという話があるけど、その原因も突き詰めるとそういうことになる、はず。

 

少子高齢化自体の改善については、普通のやり方だと既にもうどうしようもなく手遅れだったりする。なぜかというと、今もし出生率が3とかになったとしても、その子供たちが生産に寄与できるようになるまでに20年かかるから。その間、今の現役世代は自分自身の生活を維持しながら、巨額の高齢者福祉費用を負担し、その上さらに子育てのコストも支払うことになる。そんなの絶対ムリ。(移民という方法もあるけど、教育コストがかかることにはかわりない)

 

さてここで資産の市場還流に話を戻そう。なぜそれが必要かというと生産力向上の必須条件だから。つまり、米を作る場合の種籾。

 

そうなると、たとえ消費に回っても種籾として機能しなければあまり意味が無いということがお分かりいただけるんじゃないかと思う。

 

高齢者向けサービスはそもそもあまり生産力向上・競争力向上という意味での波及効果が望み難いものが多い。それでも経済に十分に余裕がある場合なら、そこが潤えばそこで働く現役世代も潤い、結果全体が潤うということもいえたのだろうけど、今のような状態ではそれは期待しにくいんじゃないか。長い目で見れば嘘とまではいえないんだろうけど、時間的にも厳しいものがあるように思う。さらに実際はそれさえ期待薄だったりする。

 

今の時代、一番の種籾は人材だと思う。それなのに、子供はもちろん、派遣・フリーターの問題としてよく議論される若年者の訓練の機会というのが他の福祉分野に比べて極端に貧弱な気がする。社会が上向きだったころから比べ、強者と弱者の定義をちゃんとしなおしてこなかったから、おかしなことが起きてしまっている。

 

このままだったら高齢者を含めて日本全体沈没は間違いない。

 

一日も早く過去志向ではない、未来志向の政治が行われるようになってほしいものです。

 

他TB元

 

今後の年代別資産の再分配について