アーカイブ[2008年9月]

京大工学生はゆとり世代から学力低下

またこんな記事とその記事へのコメントを見つけました。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7)

 

僕は物理工学科の出身で工業化学科のことはそんなによく知りません。今の会社のメンバーも工学部だと情報系ばかりです。でもまあ、本質的なとこでは一緒だと思うのでそこの差は無いという前提でお話します。

 

まず、記事の第一の問題は学部教育と大学院教育をごっちゃにしていることです。教授の質の向上なんて学部生には関係ない。その違いがわかるのは早くても4回生の後半、普通だったら修士に行ってからです。つまり、「研究」を経験した後。

 

ここで話を修士以上にかぎれば、僕のわずかな体験の範囲のお話になってしまいますが、ちゃんとした「研究」を指導できる教授というのはそう多くない気がします。しかも面倒なことに、その点については教育への熱心さはあまり関係なかったりする。具体的には、「何のために」「どういう方法で」「どういうことを調べるか」という各点についてちゃんと整理できていない(もしくは意識が浅い)人が少なくない。また、教員の意識さえ高ければ、そんなに教育熱心じゃなくてもなんとなくその区別は身につきます。学部生までは「どういう方法で」ということだけしっかり学んでいればいいので、あまり深く考えなくてもよい教育はできるのですが、大学院レベルだと「何のために」「どういうことを」という目的設定の能力自体を本来なら磨かなければならないため、厄介な問題になります。

 

で、こんなブログも見つけたのですが、これは完全に「どういう方法で」ということについてですね。最初の記事でも一回生配当の講義の不合格から話題が始まっているため、主に学部生(つまりは「どういう方法で」の教育)についてのお話だと思います。

 

確かにもとの記事よりも焦点がはっきりした批判ですが、果たしてそうでしょうか?10年前でも高校で習わないことが当然のように講義の前提条件として話が進められていたように思うんですが。。。

 

結局、一番の問題は定員なんじゃないかと思っています。入学年齢人口が減っているのに定員を減らさ(せ)ないから、(努力・才能どちらの面からも)今まで入ることができなかった人が入学するようになっている。学生さんと話す機会はそれなりにあるのですが、そこでの実感にも当てはまります。優秀な人は昔と変わらず優秀だけど、そうでない人が確実に増えてる(あくまで個人的な感想であり、分析ではありません)。

 

入試簡単にしたりとか履修制限を厳しくしたりとか世間に迎合するのはやめて、昔どおりの教育をマイペースにしていってほしいものです。

戦前の建築が残り、戦後の建築が消えていく、という不条理

こんな記事を見つけた。

戦前の建築が残り、戦後の建築が消えていく、という不条理

 

僕もこれ、以前から思っていました。母方の曽祖父、祖父が建築の仕事をしていたのですが、曽祖父の作品の方が後々まで残りそうな感じがして。

 

戦後の工法・建築材料は戦前のそれほど長期使用に向いていない、というのが記事では触れられていませんが理由のひとつとしてあると思います。

 

ただ、それを差し引いても不条理感は拭い去りきれません。

 

さらにいえば、最近建てられたビルはどのくらいの期間の使用を想定しているのかな?というのも気になります。数百年後、法隆寺があって銀閣寺があって明治建築もあるのに2000年代初期の建築は無い、というのは今という時代を生きている者として少し寂しい気がします。

 

しかし、

>一般の人がそれを愛(め)でる意識を持っているか、いないか、の差

と記事では仰っていますが、建築家サイドでも将来にわたって建築に興味が無い人にも愛されるよう意識を持っていただくことも必要だという気がします。

 

とはいえ、そこまで後世まで残らなかったとしてもいい仕事ですよね、建築って。うちの祖父なんか、自分が設計した教会で葬式を出しました。ソフトウェアの開発じゃそういうの絶対にありませんからね。農作物は食べたらなくなりますし笑

草書の筆文字を読めるようになりたい

昔からひとつ、ずっと悩んでいることがあります。それは草書の筆文字が読めないということ。そんなん読めなくて当たり前やん、と仰る方も多いでしょうけど、2000年近くも前の中国の文書はそれなりに読めなくもない?のに、ほんの100年ほど前の日本の手紙は全く読めないということになんともいえないやるせなさを感じているのです。

 

で、どうやったら草書の筆文字が読めるようになるのか、普段からそういった文書と接する機会が多いと思われる歴史学者の友人に尋ねてみました。そこで教えてもらった方法が下記の二点。

 

1.自分で書いてみる

 

草書を自分で書けるようになれば、崩し方への理解が深まり読めるようになるということです。そりゃそうだろう。いや、本当にそうなのか?

 

2.お家流の崩し方を学ぶ

 

江戸期以前の文書であれば、崩し方が各家ごとに決まっているのでそれを学べばその流派?の文書は大体読めるようになるそうです。

 

まあわかっていたことですがどっちにしろ実益の割に簡単じゃないですね。。。

 

ひとつ収穫だったのは、歴史学者の方にとっても草書の文書を読むのは簡単では無く、とくに流派がはっきりしない近代(明治~)の手紙は非常な難物だという話が聞けたことです。素人考えでは近い時代のものの方が読みやすいような気がしていたんですが、全然そんなことは無いらしい。

九州行ってきた

この週末は九州に行ってきました。

 

佐賀など色々まわった後、土曜は福岡で働くWebの人々主催のWeb Barbarians Conference 2008 Summerに懇親会だけですが参加させていただきました。

 

福岡熱いな~

完全に一人余所者として浮いていたのですが、皆様仲良くしていただきありがとうございました!!

 

残念ながらカンファレンス自体は不参加だったのですが、技術的な話から子供の話まで(なぜか子供の話がおおかったです笑)非常に楽しかったです。

結局明け方まで飲んでいました。場所の名前を失念してしまったのですが、ああいった「溜まり場」みたいなところがあるのはいいですね。特にデザイン関係の方も多かったので、非常に「それっぽい」雰囲気だったのが完全にツボでした。

 

資料はまたWebにアップされるようなので、チェックしようと思います。特に阿部さんのセッションの内容には興味があるので楽しみです。

 

今回、意外と?SOYCMSをご存知くださっている方が多くて嬉しかったのですが、SOYCMS(というか、SOY2フレームワーク)も同じような発想を出発点としています。UI中心に設計・開発を行うための業務プロセス改善を目的として開発したんです。そのため、SOYCMSのソースコードもそれがわかる構造になっています。もしご興味をお持ちいただけるようでしたら、一度ソースコードをご覧下さい。