アーカイブ[2008年3月]

「学問」の定義

友人がblogでアントニオ・ネグリ氏来日中止について書いていたのを読んで思ったのだけれど。


政治学者や哲学者を学者として扱うのはやめた方がいいんじゃないだろうか。


というのも政治学や哲学というのは、真理の追求に目的があるものではない(もしくはそこに目的を置いたとしても方法論を欠いている)分野であり、究極のところ「好きか嫌いか」という話であって、「正しいか間違っているか」という問題ではないというわかりにくさがあるからだ。


好き嫌いの問題と、正しいか間違っているかという問題は厳密に分けて考える必要がある。


ここのところ日本の政治がおかしなことになっている大きな理由も、そこにあるといっていいと思う。世界から戦争がなくならない理由にも挙げていいんじゃなかろうか。


普通、たぶん、大抵の人は学者が議論していたら、それはどちらの主張が正しいか議論しているものだと思うだろう。


(哲学者や政治学者がダメだと言っているんではないですよ。分けて考えた方がいい、というだけです)

プロジェクトマネジメントと見積り

先週末は、名古屋でWEBの勉強会に参加させてもらってきました。翌日も参加者の方に名古屋を案内していただいたり、面白かったことはたくさんあるのですが、勉強会の後半の講演を聴いて、色々考えさせられることがあったので、それについてまとめておきます。


講演は、株式会社ソナーの名村さんによるプロジェクトマネジメントについてのお話でした。

http://web-directions.com/director/index.php?ID=384


弊社ぐらいの規模だと、受託案件でも自社の開発でも代表の僕自身がプロジェクトマネジメントをしなければならないケースが多いので、その難しさは日々痛感しています。名村さんは、その中でポイントとなる点はここだということを、わかりやすくお話して下さいました。言葉だけ並べると当たり前だろう、というような事なんですが、それこそが大切なんだということが良く分かる講演でした。


それで、その中に、見積りは正確に細かく、という件があったのですが、それがちょっと引っかかったんです。


というのも、たしかにしっかりとした見積りがあったほうがお客様とのコミュニケーションは円滑に行うことができるのですが、前にも一度どこかで書いた気がしますが、「正確な見積りは設計までしてしまわないとできない」「大きなプロジェクトほど実装より設計のウェイトが大きい」という問題も同時に考えなくてはならないんです。見積りの時点でプロジェクトのかなりの部分が終っていることになる=見積りを出したのに契約が成立しなければ大赤字、ということですから。


この点、雑誌等の企業のWEB担当の方(つまり開発案件ではクライアントに当たる)向けの記事なんかで、いかにしっかり見積りを出させるべきかというような記事について非常に強い違和感を覚えるのです。上記のような問題について、結局のところ一番損をするのはクライアントですから。制作会社としては赤字案件ばかりではやっていけないので、結局空振りする見積もり分のコストを他の案件に上乗せするしかありません。そのコストは発注者が負担することになります。そんなコストを払うくらいなら、信頼できる制作会社との関係維持に使う方がよほど建設的です。相見積というのは代替可能な商品、どこで買っても同じものについて行うべきことであって、そうでない商品について行うものではありません。よそ行きの服を買うのに値段だけで選ぶ人はいないでしょう。


後で名村さんにそのことをお聞きしたら、非常に明確なお答えを頂戴しました。具体的な内容は書いていいのか分からないので書きませんが、要はそもそもそのような状況を作らないためにはどうすればいいか、ということです。


コンプライアンス等の問題はあるでしょうが、発注側、受注側ともに、同じ目的に向かっているという意識を持ってプロジェクトに望めるような環境が整えば、WEB業界はいい方向に進んで行くと思います。