栗林忠道大将に思う
かも日記 for iPhone
先日ブログで、長いスパンで見ると日本経済の先行きが明るいとは全く思えないので、海外に避難できる道を作りたいと考えていることについて書きました。
これに関して、「だったら経営者として少しでも日本経済の先行きを明るくするよう努力するのが責務なのではないか」と言われました。たしかに、それはそうかもしれません。その努力ももちろんしていくつもりです。
ただ、それだけじゃダメだとも思うのです。そこで表題についてです。
数年前映画で話題になった硫黄島の戦い。栗林忠道大将は立派な方で、最後まで最大限職務を果たしたのだと思います。現場の一指揮官としては、この上ない仕事です。
しかしその結果はどうだったのでしょうか。
もっと早く敗北していれば、もっと稚拙な戦術で戦っていれば、生き残れた人の数は増えたはずです。その後の米軍による日本攻撃も、史実ほどは苛烈にならなかった可能性もあります。
たとえ数日の時間稼ぎでも、価値のある数日、たとえば援軍を待つとか、核の実戦配備を待つとか、戦局を変えられるほどの数日なら損耗率96%という恐ろしい戦いをする意味もあると思います。でも、硫黄島の戦いはそうではなかったし、栗林大将もそうではないことを知っていたはずです。
栗林大将を本当にただ現場の一指揮官と捉えれば、そこまで考えることは難しいでしょうし、そもそも(軍人ということも踏まえて)考えるべきではないというところでしょう。考えたところでどうしようもないかもしれません。
ただ、誰かは必ず大局を見ていないといけない。大局的に間違った方向に進んでいるのなら、そこでその流れ自体に逆らうことはなしに現場の努力だけ行うと、かえって傷口を大きくする可能性がある。
歴史に「たら、れば」はないですし、安全な現代から過去の苦しい時代に生きた方を批判するのには抵抗があるのですが、栗林大将がすべきだったのは、同じ命を賭すなら、硫黄島での徹底抗戦ではなく、国内の改革に向けた戦いではなかったか。
最近の財政再建や、地方活性化に関する議論を見ていると、レベルは違いますが問題の質として近いものを感じるのです。
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あとで思い出して追記。
硫黄島の戦いについて、あれだけの抵抗を見せたから「日本人を追い詰めると恐ろしい」という認識が生まれ、それが戦後の安全保障に寄与している、という考えがあります。それはそうかもしれません。
どこまでいっても歴史に一方的、一面的な評価を与えるなんてことはできないのですから、大局と現場との対照を考える例として、マイナス面について触れただけです。