楽をすることはいいことだ、と思う
最近、ホームレス叩きやNEET叩きが一部で盛んなようだけど、そこでひとつの論拠とされる「勤勉さ」ってそんなに大事なことなんだろうか。もちろん、一番根本的な意味での勤勉さは間違いなく美質なのだけれど、今の実社会においては成果とは関係ない部分での「勤勉っぽさ」が要求されているように思うのは気のせいだろうか。
同じ成果を上げるなら楽をするほうがいいに決まっている。
見方を変えればホームレスやNEETは「ただ生きる」というだけを目的にするなら非常に効率のいい方法を取っているようにも思える。
結局、問題の本質ははっきりしていて
・生産活動が「生きる」ことと結びつかなくなった
・個人の生産性の差が極度に拡大した
という二点なんだろう。
前者について議論しだすときりが無いので、ここでは後者についてだけ話を進めます。
単純なことだけど、生産性が低い社会では勤勉さと生産力がほぼ比例する。単純作業を思い浮かべるとわかりやすい。それに対して、個人の生産性が上がってくると勤勉さと生産力が必ずしも一致しなくなる。
現実はめまぐるしく変わるけれど、価値観や言葉の意味は過去からのコンテクストに束縛される。ホワイトカラーエグゼンプションが導入されるかどうかなんて話があったけれど、導入されない場合(つまり現状)では生産性の低い人ほど給与が高くなる。蓋し、そういう環境だと皆「勤勉っぽく」振舞おうとするため、益々本来の生産性より「勤勉っぽさ」が重要になってしまう。
生産性の改善自体が労働として評価されるようになったのなんて、本当につい最近のことなんじゃないだろうか。もちろん技術革新は何千年にもわたって行われてきたことだけど、それはごく一部の人の手によるものであって、一般の人が意識することは無かったと思う。
人口の減少が避けられない今の日本の状況を考えたら、外貨を稼げる(生産性の高い)人をもっと優遇して、その分生産性の低い人には本当にラクになるような還元を行うといったバランスの修正策が必要になるんじゃないかと思う。
ちなみにうちの会社では「楽するために最大限努力する」ことを推奨しています。もちろん成果への妥協では無く、業務・作業を効率化して、のお話です。
トラックバック元





